「伊豆守様にお願いすれば、何でもすぐにお取り計らいしてもらえる」
といううわさが小姓組番の番士に広まったのは、それからまもなくのことであった。
自分のところへ相談に来た者に対し、以前であれば聞く耳を持たなかった信綱がまず相手の悩みを親身になって聴くようになった。話を聴くだけでなく、その話がもっともだとわかれば上の者に取次をするようになった。あるいはしかるべき筋に世話をした。困っている者に用立てをすることすらあった。信綱はみんなから頼られる存在になった。
信綱の屋敷は門前市をなす状態になった。信綱が外出する時は、番士たちもぞろぞろと付き従うようになった。おこぼれを期待するだけの輩も混じってはいたが、信綱はそれすら受け入れた。
「伊豆守様のところは頼みごとをする人がいつも行列をつくっている。豊後守様のお屋敷には雀しか訪ねて来ない」
いつしかそんな声さえ聞かれるほどになった。豊後守とはもちろん、阿部小平次のことである。小平次は名を忠秋と改め、今や知行一万石となっていたが、信綱の名声の前にはそれすら霞みがちであった。
ある日のこと、江戸城の近くで鷹狩りをした家光が、信綱の組の番士を引き連れて城へ戻って来た。鷹狩りの供を終えた番士たちは、そのまま家光の帰路の警護をしていたのであった。
一行が城の濠にかかる和田倉橋を通りかかった時、橋の近くを泳いでいる鴨の群れが家光の目に止まった。
「あの鴨に、誰が石を当てられるかやってみろ」
それはいたずら好きな家光が出した問題であった。番士たちはあわてて小石を探しはじめた。が、掃き清められた濠端に石などそう都合よく落ちているものではなかった。家光はそれを知っていて、誰がどのように対処するかを見定めようとしたのであった。
信綱はしばらく黙って番士の様子を見守っていたが、いつまでたってもらちがあかないのを見て取ると、みんなに聞こえるような声でひとり言を言った。
「たしか近くの八代洲河岸に、魚屋の屋台があったなあ」
それを聞いてはっと思いついた二、三人の番士が、魚屋めがけて一目散に飛んで行った。そして店先のかごに入っていた蛤をつかんで濠端へ戻ると、その蛤を鴨に投げつけた。見ていたほかの番士も我先に魚屋へと群がって蛤を奪い合い、わあわあ叫びながら鴨に向かってそれを投げつけた。あわてた鴨は四方八方に飛び立ち、濠端は大騒ぎとなった。その一部始終を見ていた家光は大笑いをした。番士たちもつられて笑いだした。信綱も一緒になって笑った。
和気あいあいとした雰囲気の中、上気した番士たちを率いて家光は橋を渡った。たわいのないことではあったが、家光のいたずらに遊び心をもって応えた信綱の智恵に、誰もが爽快さを覚えたのであった。
信綱が「智恵伊豆」とあだ名されるようになったのはこの頃からである。どんな局面でもその場その場に応じて機敏に対応できることから付けられたあだ名であった。
同時に、信綱の智恵にはどれにも共通する特徴があった。
一つは大勢の者が関われることである。みんなでやれば求心力が働き、個人個人の能力以上のことができた。二つ目はすぐに実行できること。そのことが「今、何をすべきか」を求められる場面で大きな強みとなった。そして三つ目は遊び心があること。そのため誰もが楽しい気分で携わることができた。信綱の周囲に人が集まるのは当然であった。
信綱の世話になったのは番士ばかりではなかった。信綱の周りにいるほとんどの者が信綱の恩恵を受けたと言ってよい。忠秋の従兄に当たる阿部山城守重次もその一人であった。
後に対馬守を名乗り、信綱や忠秋らとともに家光政権の中枢を担うことになる重次であったが、その日は家光から受けた指図に呆然となって立ちつくしていた。
そこを通りかかった信綱が重次に声をかけた。信綱は重次と歳が近いこともあって、普段から仲の良い間柄であった。
「やあ山城殿、その様子ではどうやらまた上様から難問をいただいたようだな」
「おお、これは伊豆殿、よいところへ。今、困ったことを仰せつかってしまったのだよ。『二の丸の庭にある大石が邪魔だ。自分が城に戻るまでにあの石を片付けておくように』と」
重次が指差す方を見ると、たしかに庭の隅に石があった。それも岩と呼んだ方がよいくらいの巨大なものが、半ば土に埋もれていた。一目見ただけで容易に運び出せるものでないことは明らかであった。
さしもの智恵伊豆もこれには頭をひねってしまった。仮に土を掘り返して大人数で石を持ち上げたところで、狭い門をくぐり橋を渡って庭の外に運び出すことは不可能に見えた。どうしても外に出すとなれば、門ではなく塀や土居を壊して通さなければならなくなる。当然運び出した後は壊した場所を元に戻さなければならず、それはきわめて難工事になると予想された。
「上様はあの石を何かに使うつもりなのだろうか」
信綱が尋ねると、重次は、
「さあ、上様は『庭に竹刀打ちの場がほしい』とおっしゃられただけだからな」
(ということは、石が必要なのではなさそうだな)
信綱は考えた。とにかくこの大石を運び出すことは労多くして益少なし。たかが庭を整えるくらいのことに右往左往しているようでは、上様ばかりか下の者からもあきれられてしまうであろう。
そうこう考えているうちにも、家光の帰りが気が気でない重次は、どうやって石を運び出そうか、誰か助けてくれる者はいないかおろおろしていた。
(まずいな、冷静な判断ができる雰囲気ではない。もっとも、無理な注文のうえに時間もないときているから仕方がないが。この大石を目の前からぱっと消せと言っているようなものだからな…。まてよ、『消す』か)
「伊豆殿、私は決心したよ。いつものように上様はできないことを承知で無理難題を押しつけているのであろう。私はしばらく石をこのままにしておいて、上様がこのことを忘れてしまうまで放っておくことにするよ」
「まあまあ、山城殿。そのように考えるのはあまり感心しないな。それでは上様の言ったことが羽毛のように軽くなってしまう。それは上様の存在自体が軽くなるということだ。そのようなやり方を、上様は決して許してはくれまい。ここは何とか、あの大石を片付けてしまおう」
「そんなことを言っても、どうやって?」
重次は弱々しく尋ねた。
「山城殿の言うとおり、この大石を運び出すことは無理のようだ。別の方法を考えるしかない。
先ほどの話からすると、上様はこの大石が必要ということではなさそうだ。単純に目の届かないところに石をどかせということなのであろう。言い換えれば、この大石を目の前から消せと言っているのだから、そういう状態を作ってしまえばよいということになる。
山城殿いかがであろう、この大石を土の中に埋めてしまっては?それなら外に運び出したのと同じように目の前から消すことができる。石を全部埋めたら余った土を庭から運び出すだけで済むから、それほど時間もかかるまい」
「な、なるほど」
重次はすっかり感心して一も二もなく信綱の案に賛成した。
直ちに鋤、鍬、もっこなどが用意され、人夫や小姓たち、ほかにも手の空いている者が総動員された。そしてそれぞれに役割を決め、一斉に作業に取りかかることにした。
まずは大石の脇に石がすっぽり入るほどの穴を掘り、次に石の周りを掘り起こしててこの原理でその石を穴に落としこみ、最後に上から土をかぶせるという段取りで行うことになった。大がかりな作業には違いなかったが、やるべきことが明確なため作業は大いにはかどり、家光が帰った頃には平らにならした庭を掃き清めるところまでできあがっていた。
「これは見事だ」
家光は自分の指示がかくも迅速かつ忠実に実行されていることに驚いた。重次になにげなく言ったことでもあり、内心では完成を期待していなかっただけに、この出来栄えには家光も舌を巻いたのであった。
信綱にとっても快心の出来には違いなく、十分満足のいく結果となった。このうわさはたちどころに城内に広まり、「智恵伊豆」の名は大いに高まった。会う人すれちがう人みな信綱に好意のまなざしを向けた。
そんな信綱に、何日かして酒井讃岐守忠勝が話しかけてきた。忠勝は「年寄」と呼ばれる重臣で、家光から多大な信頼を寄せられていた。むすっとした風貌は頑固親父のそれであり、実際曲がったことがきらいな性格であった。時間にも几帳面で、領主となった川越の町に時鳴鐘(時の鐘)を築かせていることも信綱は聞いて知っていた。自分にとって雲の上の存在である忠勝が自分から声をかけてくるのはめずらしいことだと、信綱は心の中で思った。
「伊豆殿、このたびは大変な活躍をしたそうだな」
「これは讃岐守様、ありがとうございます」
「このところ、上様のご機嫌がよいのもそのためであろうな」
「それはわかりませんが、少しでも上様へのご奉公になったのであれば幸いです」
「では伊豆殿は、今回のことは自分が上様に対してかなりの奉公をしたと、内心そう考えているということか?」
忠勝は、いくらか語気を強めて信綱に問いかけた。
「いえ、そもそもは山城殿が困っていたところへ助言をしたまでで、それを狙ったという訳では…」
図星をつかれた信綱はしどろもどろになって答えた。忠勝はそれには構わず、
「いずれにしても、上様の役に立ったと、本気でそう思っているということだ」
と確認するかのようにつぶやいた。
「?」
信綱が忠勝の真意を計りかねていると、忠勝が意を決したように語りはじめた。
「伊豆殿、私は以前伊豆殿に助けてもらったことを忘れてはいない。私が上様から、東照社参拝の番割表を清書するよう命じれられた時、伊豆殿の智恵のおかげで即座に解決することができたことを。その下書きは上様自身が巻物に書いたもので、そのままでは清書に相当時間を要するように思えたものだ。ところが伊豆殿は機転を利かせてその巻物を何枚かに切り分け、大勢の右筆に一斉に清書をさせ、最後にそれをつなぎ合わせてまたたく間に仕上げてしまった。その大胆な智恵に私は感心し、感謝したものだ。その時の気持ちは今も変わらない。
しかし伊豆殿、そのことと今回のことはまるっきり別のことだ。はっきりと言わせてもらおう。今回のことは上様のためによくなかった」
「それは…?」
「人間、言ったとおりのことを何でもしてもらっていると、それがあたりまえのことだと思い込んでしまうものだよ。上様にしても同じことだ。そして、それができない者のことを無能だと考えるようになってしまう。
無論、本当に必要なことであれば、やるべきことはどんどん行って遠慮すべきではない。だが、今回のことはたかが庭の隅の石のことだ。そのままにしてあっても何ら支障はない。反対に、石を取り除くには多くの労力が要る。今回のように手ぎわよく処理したとしても、城内で忙しく働いている多くの者の手をわずらわせたことに変わりはない。みな理不尽なことと思いながらも、仕方なく手伝ったというのが実情だ。
これが一度で済むことならまだよい。ところが、一旦こういうことが前例になると、それが基本になってしまう。上様から言われたことは何でも実現しなければならないという雰囲気になる。たとえ誰かが、『そんなことをしても無益なことだからやらない方がいい』と言ったとしても、言った本人にやる気や才能がないのだと判断されてしまう。
伊豆殿、時には自分が馬鹿になるのも大切なことなのだ。『私には能力がないからできません。なにとぞご容赦ください』と何度も謝れば、そのうち上様も、物事には自分の思いどおりにならないことがあるとわかってくださる。そして、そう思ってもらった方がみんなのため、国のためによいということもあるのだ」
「なるほど。讃岐守様のおっしゃること、一つ一つもっともなことばかりです。恥ずかしながら、私も言われてようやくわかりました。ありがとうございます」
忠勝は「うん」と大きくうなずいて言った。
「伊豆殿は間違いなく、これからの公儀を背負って立つ人間だ。だから、あえていま言わせてもらおう。仕置(政治)というものは、何も杓子定規に物事を決めることではない。城の中であれ、家の中であれ、実際にそこで生活しているのはただの人間だ。日本という国も、一人ひとりの人間が動かしているのだ。その中で為政者として心がけねばならないことはただ一つ、『人の道をはずさない』ことだ。
伊豆殿は以前、濠端で番士に蛤を投げさせたことを覚えているだろう。そこにいた誰もがそれを楽しんだことは間違いないと思う。だが、その後で阿部豊後殿が何をしたか、伊豆殿はご存知か?みんなが橋を渡って城内に帰った後で、豊後殿は魚屋に蛤の代金を払いに行ったのだよ。上様の命令だと言えば魚屋は文句を言えなかったであろうにも関わらずだ。『町の者が食べる蛤を横取りしてすまなかったな』と言ってお金を払った豊後殿のことは、ひところ町で大変な評判となったそうだ。
伊豆殿の屋敷には頼みごとに来る者が大勢いるそうだが、それは伊豆殿にそれだけの器量があるということで結構なことだ。ただ、同時に豊後殿のやり方もよく見てほしい。知ってのとおり、豊後殿の屋敷には誰も訪ねに行かない。豊後殿は人の頼みごとには一切耳を貸さないからだ。それは一見冷たく見えるかもしれない。しかし、豊後殿は常々誰に対しても公平でありたいと言い続けてきた。情に流されればどうしても損得が生じ、しかも得をするのはごく一部の者に限られてしまうからだ。豊後殿はそのことを嫌う。
多くの人の意にかなうことは実行し、かなわないことはしない、豊後殿のこういう姿勢が真の『人の道』ではないか、と私は思う」
(そうか、讃岐守様はこのことを私に言いたかったのか)
信綱は恥ずかしさのあまり真っ赤になった。自分なりにうまくやっていると思っていたことが、実は結果にこだわるあまり本質を見失った行動であることに気づかされたからであった。しかも忠秋はそのことをすべてお見通しで、自分の目に付かないところで正しい方向に修正すらしていたのであった。信綱は改めて、自分の未熟さを痛感した。
それからしばらくして、城内で忠秋とすれ違った時、信綱は冗談めかして忠秋に話しかけた。そこに若干の気まずさがないといえばうそになった。
「やあ豊後殿、いつぞやは蛤のことで豊後殿に大変世話になったそうだな。さすが豊後殿は眼の着けどころが違う。これからも私の気がつかないことをどんどん指摘してもらいたいものだ」
忠秋は立ち止まり、真っ直ぐ信綱の方に向き直って言った。
「何のことかと思えば伊豆殿、それは大したことではありません。私はあの時自分にできることをした、それだけのことです」
忠秋の真正面な返答に気後れする信綱から目を離すことなく、忠秋はそのまま話を続けた。
「私は自分が正しいと思うことをしようと心がけているに過ぎない。だが、伊豆殿はそこにいる全員にとって良かれと思うことをしようと心がけている。それは周りが非難したりできる筋合いのものではありません。あの時も番士たちはみな困り果てていて、何よりも上様の難問を解決する方策を探していました。それを成し遂げられたのは伊豆殿、あなただけだったはずです。番士たちはみな伊豆殿に感謝しているでしょう。蛤の代金のことなど、それに比べれば取るに足らない小さなことです。
私は伊豆殿のことを尊敬しています。伊豆殿の頭の回転は私と比べものにならないくらい速い。しかもその言動は常に周りの者のやる気を引き出し、大きなことを達成する糸口となっています。これからも伊豆殿には周りの者にとって大きな力となっていただきたい。私がその手助けになれるのなら、陰ながらいくらでもお手伝いします」
(ああ、この男は本物だ。私よりずっと器が大きい)
忠秋の話を聞いて、信綱は改めて自分を恥じた。そして忠秋に対し素直に尊敬の念を抱くようになった。忠秋だけではない。忠勝にしろ、正綱にしろ、人間としての器量の大きい人々に囲まれ、自分はなんと果報者だと思うようになった。
ある意味でこの時期の信綱は、人生で最も幸福であった。自分の智恵を存分に発揮する機会に恵まれ、しかも良い指導者や同僚に恵まれていたからである。壁に突き当たりながらも、信綱は着実に人間的な厚みを増し、家光の信頼を高めていった。信綱の知行はいつしか一万五〇〇〇石にもなっていた。
政治の実権を握る大御所秀忠の下で、家光はいまだ重責を感じずにいられたし、信綱自身国政を左右するような立場になかったことも幸いした。多少の過ちも自分の力で挽回することができたからである。成功も失敗も、自分のこととして実感することができた。
しかし、この先信綱はどうしようもない厳しい現実に直面して悪戦苦闘することになる。小手先の智恵ではどうにも解決できないことが続き、眠れない夜が続く。
智恵伊豆が本当の実力を発揮するようになるのは、まだ先のことである。