其の一 雀の巣

 春になったとはいえ、日が落ちると寒さが身にしみた。暗闇の中、長四郎は手足をかじかませながら屋根伝いにようやく軒端までたどり着いた。

 時に慶長一一(一六〇六)年三月、長四郎は自ら小姓として仕えている竹千代のために、雀の雛を捕えようとしていた。昼間、三歳になったばかりの竹千代が軒下で生まれた雛を目ざとく見つけ、長四郎に取ってとせがんだからである。それは事もあろうに竹千代の父、二代将軍徳川秀忠の寝間の上であったため、長四郎にとってあまり乗り気のする役目ではなかった。かといって長四郎は思いつめていた訳でもなかった。それは竹千代の近侍の者が長四郎をうまくそそのかしたからではない。

 一一歳の長四郎には、これまですべてのことが自分の思いどおりに進んできたという自負があった。次の将軍となることが確実な竹千代の小姓になれたのも、自分の判断を信じたればこそであった。雀の雛のことなど、言われたままさっさと片付けてしまった方がよい、というのがこの時長四郎が導き出した答えであった。

(要するに、雛さえ取って帰ればいいのだ)

長四郎は頭の中で計算していた。

 長四郎は物音を立てないように注意しながら、昼間のうちに目印を付けておいたあたりに手を伸ばした。明日の朝、雛を持っていけば今まで以上に竹千代の歓心を得られよう、小賢しく長四郎はそう考えた。

 そもそも長四郎が今のような幸運をつかんだのも、五年前、自ら申し出て叔父松平正綱の養子になったことがきっかけであった。

 長四郎は当時、亀千代という幼名で武州川越に住んでいた。この年の三月、亀千代の祖父大河内秀綱が川越で代官を勤めることになったからである。川越は大名の知行地から幕府の天領(直轄領)に代わり代官が必要となったため、関東代官頭伊奈忠次の家老として信頼の厚かった秀綱が当地への赴任を命ぜられたのであった。秀綱は一族郎等を率いて武州小室から川越に移り住んだ。亀千代や亀千代の両親もそれに付き従った。地味でおとなしい亀千代の父久綱は、いまだに家督や知行地を秀綱から譲られていないのであった。三〇歳を過ぎても上級職や中央の役職に推挙されることなく、父親である秀綱の仕事を補佐する立場に甘んじていた。早熟で人一倍上昇志向の強い亀千代にとって、そのことは多いに不満の種となっていた。

 久綱とは対照的に、久綱と七歳違いの弟正綱は破格の出世を遂げていた。正綱は戦国の覇者として今まさに頂点を極めようとしている徳川家康に仕えていた。一二歳の時、正綱は徳川家支流の一つ長沢松平家の養子になることを家康から命ぜられ、一七歳の時には家康の近習に取り立てられていた。先の関ヶ原の合戦においては家康からお召替えの兜を拝領し、それを着けて出陣も果たした。亀千代にとって正綱は、自らがそうなりたいと願う理想の人物であった。

 慶長六(一六〇一)年一一月、正綱が家康の鷹狩りに付き従って京都伏見からはるばる川越を訪れた時、亀千代はこれを好機ととらえ、自らの思いを正綱に伝えることにしたのであった。

 鷹狩りを終えた正綱は秀綱の家に立ち寄り、そこで束の間の休息をとっていた。亀千代が正綱のいる部屋の前に来ると、正綱はほてった身体を冷やすため障子を開いて一人寛いでいた。亀千代の姿を認めた正綱は、笑顔で亀千代を招き寄せた。

「おお、亀千代か。ずいぶんと大きくなったな。もう父上や母上を困らせるような歳ではないぞ。お前は長男だ。これからはお前が両親を助けるようにしないとな」

 亀千代はそれには答えず、正綱に歩み寄り神妙な顔をして座った。

「叔父上、お願い申し上げたいことがあります」

「おいおい、改まって何事だ」

「恐れながら、私に松平の苗字をいただきとうございます。叔父上の養子になりたいのです」

正綱は笑った。だが、目だけは笑っていなかった。

「まだ幼少の身で、なぜ大河内の名を捨てて松平の苗字を望む?」

正綱が注意深く尋ねると、亀千代はここぞとばかりに自分が前々から思い描いていたことをまくしたてた。

「私は、自分が代官の家の子であることが口惜しいのです。武士の家に生まれた以上、上様のお近くでご奉公をし、上様のお役に立てることが本望というものです。ところが今のままの私では、祖父と同じ代官として一生を終えるであろうことは目に見えています。よほどの幸運でもない限り、叔父上のように上様の近習を勤めることは叶い難いでしょう。そこで少しでも上様の目に留まるように、ぜひとも私を叔父上のそばに置いていただきたいのです」

正綱は少し変な顔をしたが、すぐに真顔に戻って聞いた。

「お前の父上は、このことを承知しておられるのか」

亀千代は一瞬言葉を詰まらせたが、

「父上にはこれから話をし、承知していただきます」

ときっぱりと答えた。

正綱はしばし考えている様子であったが、やがて結論が出たというように亀千代に向かって言った。

「なるほど、望みのとおり養子にしよう。お前が一通り父上に話をして、ご了解を得られたら苗字を遣わすことにしよう」

今度は亀千代が変な顔をする番であった。正綱には子供がいない。後継者が必要なはずである。亀千代は周りから智恵者と呼ばれ、自分でもそう思っていた。だから自分が正綱の後継者としてうってつけであると亀千代は考えていたし、自分の申し出を正綱は素直に喜んでくれるものと確信していた。ところが案に相違して正綱がそっけない態度であったため、亀千代は拍子抜けしてしまったのである。

 とはいえ、養子になることは正綱も一応承知してくれた訳なので、亀千代は正綱に礼を述べ、正綱が引き受けてくれたことを理由に父久綱をうまく説得して正綱の養子となった。その後、亀千代は養父の幼名を継いで長四郎を名乗るようになった。

 慶長九(一六〇四)年七月、長四郎は生まれたばかりの竹千代の小姓に召し出され、ほどなく月俸五人扶持を与えられた。それは長四郎が考えていたとおりの展開であった。しかも小姓に選ばれた五人の中では長四郎が最年長であった。長四郎ははじめから自分が期待されていると感じた。

 長四郎は小姓として、与えられた任務を着実に遂行した。気の利いた仕事ぶりから城内でもすぐに智恵者との評判が立った。もっとも、長四郎のことを出来すぎていてかわいげがないと言う者も多かった。

 竹千代が雀の雛を欲しがった時、近侍の者は半ばやっかみから長四郎を困らせようとして、長四郎に雛を取ってくるようそそのかしたのであった。

 軒端に近づくほど屋根はみしりと音をあげ、そのたびに長四郎はさらに息を潜めた。

 寝間の下から仰ぎ見る限り、屋根から手を伸ばせば雀の巣まで容易に手が届きそうであった。長四郎はひとしきり目印のあたりを手で探った。

 だが、長四郎の指は巣を探し当てることができなかった。

 長四郎はもう一度手探りをした。巣は指にかすりもしなかった。長四郎はにわかに焦り出してありったけ手を伸ばし、さらに身を乗り出した。指は空を切るばかりであった。そのうえ着ていた振袖が軒端のどこかに引っかかり、ますます焦った長四郎はいたずらに腕を振り回した。もとより運動神経は良い方ではない。

 長四郎は軒端から一回転して「どう」と坪庭に落ちた。落ちた拍子に腰を強く打った。息ができない。動くこともできない。

 すぐに寝間の障子が開き、人影が現れた。竹千代の父、将軍秀忠なのは言うまでもなかった。夜着のままではあったが、手には刀を握っていた。平素は温厚な表情も、この時ばかりは眉間に殺気を漂わせていた。

 倒れているのが竹千代付き小姓の長四郎であることは、秀忠にもすぐにわかった。それでも秀忠は険しい顔を崩さなかった。

「ここで何をしていた」

低く怒気を含んだ秀忠の鋭い問いが、長四郎目がけて飛んできた。

 ようやく息ができるようになった長四郎は、痛みをこらえて深く土下座し、かしこまって答えた。

「申し訳ございません。御殿の軒下に雀が雛を生みましたもので、あまりの欲しさにこっそりと取りにまいりました」

「お前が考えたことではあるまい。誰にそそのかされてこんなことをした」

「……」

長四郎は答えられなかった。痛みのせいばかりではなかった。

「ありのままに答えぬとは、年頃にも似ず不敵な奴だ。言わねばお前を袋の中に入れて、柱に吊るしてしまうぞ」

長四郎はそれでも無言であった。竹千代の名を出さないくらいの分別は長四郎にもあった。しかし、一一歳の長四郎に機転の利いた返答は望むべくもなかった。実のところ、長四郎は秀忠に威圧されていた。

「もうよい。さっさと部屋へ戻って寝ろ」

秀忠は苦々しくそう言うと、背中を向けて荒々しく去っていった。

 長四郎は同僚のいる小姓部屋には戻らず、誰もいない部屋に行き痛みをこらえて一人横になった。小姓たちはみな起きているはずだが、長四郎に声をかけに来る者はいなかった。大方みんな、自分の失敗をあざ笑っているのであろう、と長四郎は思った。誰とも話したくはなかった。寒さと、痛さと、悔しさで、眠れそうになかった。

 しばらくして、誰かが部屋の前にいる気配がした。長四郎が起き上がって見ると、暗闇に人が立っていた。それが竹千代の乳母、お福であることは姿かたちからようやくわかってきた。

 長四郎はげんなりした。少なくともお福は、いま長四郎が会いたいと思う相手ではなかった。お福はおたふく顔にあばた面で、女性としての魅力に乏しかった。無愛想なくせに竹千代にだけは惜しみない愛情を注ぎ、その偏愛ぶりは事あるごとに周りの者の物笑いの種となっていた。長四郎自身、お福のように竹千代を甘やかすことはひいきの引き倒しにしかならないと感じており、日ごろからお福を敬遠するようなところがあった。この時も長四郎は、お福から何を言われても適当に受け流すつもりでいた。

 そんな長四郎の思惑を意に介する様子もなく、お福は部屋の中に入ってきた。

「長四郎殿」

「……」

「あなたは実に浅はかなことをしましたね」

「何のことでございましょうか」

 長四郎は平静を装って慇懃に答えた。早くお福に出て行ってもらいたかった。盲目的な乳母の寝言など、聞いた後で胸が悪くなるに決まっていた。ましてや自他ともに智恵者と認める自分が失敗をした直後にやって来て、訳知り顔でされる説教などなおさらごめんであった。

「あなたが自分の過ちに気づいているのなら許しましょう。でも、その顔は自分が悪いとは思っていない顔つきですね。あなたには小姓を辞めてもらうことになるでしょう」

長四郎はむっとした。お福ごときが自分を裁こうとする。とっさに長四郎は反論した。

「お言葉ですが、雀欲しさに屋根に上ることがそんなに悪いことでしょうか」

長四郎はできるだけ感情を抑えながら尋ねた。

「雀を欲しがっているのがあなたではなく竹千代様であることは、上様は百も承知しておられます。竹千代様はまだ三歳なのですから当たり前でしょう。問題は、あなたの行いそのものにあるのです」

はっとして長四郎はお福の顔をのぞき込んだ。暗闇に、赤い口元が動くのだけが見えた。

「あなたは、竹千代様を満足させることが自分の役目だと思っているのでしょう。それは大きな間違いです。あなたは自分が竹千代様の小姓に選ばれた本当の意味をわかっていない。あなたは竹千代様より八つ年上です。小姓の中でも最年長です。あなたの役割は、小姓の先頭に立って竹千代様を正しい方向に導くことにあるです。将軍になるほどのお方であれば雀の雛など欲しがるものではないということを、悟らせるのが役目なのです。あなたは自分のしていることの目的を理解していない。これが過ちの一つ」

 長四郎は金縛りにあったように、黙ってお福の口元を見つめた。

「またあなたは、上様の御殿の屋根に上ったことを軽く考えていますね。あなたは敵の忍びの者と同じことをしたのですよ。これはお城にとって一大事です。もし誰もがあなたと同じまねができるようであれば、城内の警護体制を根本的に見直さなければなりません。番方の者は上様のお叱りを受け、辞めさせられる者もいるでしょう。

 そうでなくても、上様を踏みつけにするなどもってのほかのことです。恐れ多くも上様は、全国の大名を束ねる征夷大将軍なのですよ。上様があなたを柱に吊るさなかったのは、そんなことをすれば周りから気が触れたと思われて、家臣が動揺するからに過ぎません。本当はあなたは、上様に斬り捨てにされても仕方ないことをしたのです。あなたは手段というものをよく考えていない。これが二つ目」

「……」

「さらにあなたは、最適な方法は何かということを考えて行動していない。雀の雛を取るために、御殿に上る必要などまったくなかったはずです。雀などどこにでもいるのですから。そもそも雀の雛を取ってくる必要もないのです。蛙を捕まえてもいいし、竹細工をこしらえてもいい、竹千代様の気が紛れればよいのであれば。でもあなたが自分の役目を理解しているのならば、そのいずれもが無意味なこととわかるはずです。あくまでもあなたの役目は、竹千代様を正しい方向に導くことなのですから。

 あなたは言われたことを言われたままにすることだけを考えて、それによって得るものと失うもの、つまり効果というものを考えていない。これが三つ目。

 目的・手段・効果、この三つをしっかり理解していなければ、周りの者は着いて来ません。竹千代様の母君、お江様はまもなく次のお子様をお生みになられます。それが男の子であれば、竹千代様の次の将軍としての地位とて安泰とは限りません。竹千代様が長ずるに及び、しっかりとした考えをお持ちでなかったら、外様大名からだけでなく身内からも追い落とされてしまうでしょう。

 わかりましたか。あなたの役目は、あなたが思っているほど生易しいものではないのです。今日のことは大目に見ましょう、でも、これからもこのようなことが続くようでしたら、間違いなくあなたは斬り捨てにされますよ」

 お福は帰っていった。暗闇と静けさだけが残った。

 長四郎はあっけにとられ、固まったまま動けなかった。たかが乳母と思っていたお福がこれほどまで理路整然と自分を言い負かす、それは磐石だと思い込んでいた自分の立場がきわめてもろいものなのだということを思い知らされた瞬間でもあった。

 後に「智恵伊豆」とあだ名される長四郎、すなわち松平伊豆守信綱の一代記は、このような智恵のかけらもない幼少期の逸話からはじまる。

 雀の巣の一件は、竹千代をかばう美談として後年人々の口の端に上る。しかしそれは信綱が功成り名を遂げてから作られた話である。所詮失敗は失敗に過ぎず、この事件をきっかけに、世間が言うような秀忠の好意を長四郎が得られるはずもなかった。実際すべては元のままであった。が、長四郎の内面において、この事件は大きな心境の変化をもたらした。

 生涯にわたり信綱は、人間業とは思えないほど多くの業績を残したと言われている。もちろん信綱とて試行錯誤はしたし、自分の予期しない結末に終わることもしばしばあった。しかし、こと国政に関して、致命的な誤ちを犯したことは皆無と言ってよい。

 お福に叱責された後、長四郎は物事を客観的にとらえるようになり、慎重に検討したうえで行動するようになった。長四郎はお福から言われたことを正しく人生の教訓とした。信綱の生涯は、失敗を重ね、それを生きる力に変えていくことの繰り返しであったとさえ言えるのである。

 なお余談であるが、お福の言ったとおり、竹千代はその後生まれてきた弟国松との間で激しい跡目争いを巻き起こすことになる。その時お福は大御所家康に対し捨て身の嘆願を行い、「次期将軍は竹千代」という家康のお墨付きを勝ち得たのであった。

 その後お福は城内の大奥を取り仕切り、竹千代が長じて三代将軍家光となってからも政権を影から支えた。家光は終生お福から受けた恩を忘れることがなかった。お福はただの乳母ではなかった。そうであるからこそ、乳母としての役目が終わった後も城内に残り、権力をふるい得たのである。

 このお福こそ、後の「春日局」その人である。

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