信綱は酒が飲めない体質だったようで、出入りの者から同僚まで、彼の面前で酒を飲むのは控えていたようです。
そんな中、屋敷に出入りする箱根小市という七十歳を過ぎた法師だけは大いに酔って、小唄などを口ずさみながらやってきました。
「いかに上戸(酒飲み)とて、年を取ってそんなに大酒をしては病気になる。少しは控えたらどうだ。」
と、信綱がたしなめたところ、小市は、
「私はもう老いぼれですが、おかげさまで子どもたちはみな一人前になりました。もう思い残すこともないので、酒だけが楽しみでして。」
「その方、子供を不憫に思うのか。」
「いかにも。」
「その方の親も、その方のことを不憫に思っていたであろうな。」
「はい、私は兄弟の中でも愛子(あいし:もっとも可愛がられる子)でした。」
「ではその方、親の恩をなんとも思ってはいないのか。」
「人間たるもの、どうして親の恩を忘れましょう。今思い出しても、涙がこぼれるほどです。」
それを聞いた信綱は小市を静かに諭しました。
「それではその方の親は、さぞその方を不憫に思っているだろうな。親は死んでも、その志は残るものだ。その方の親は、その方がかくまで大酒を飲むことを喜ぶわけがない。もはや眼前に親の姿がないとて、親に対して後ろめたいことをいたすな。」
この言葉に小市はハッとして、手の盃を投げ捨てると、
「今後、大酒はいたしません。愚かにも親の恩を忘れておりました。」
といい、信綱に手をつきました。
この話しをそこに居合わせた人々は「名誉の理屈だ」と感じ入ったということです。
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