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其の十五    水喰土

 

 承応二(一六五三)年正月一三日、「玉川上水」と命名されたこの普請が正式に許可された。「玉のように美しい多摩川の上水」ということで付けられた名前であった。総工費は七五〇〇両、うち六〇〇〇両を兄弟に支払う請負金とした。請負の条件は、羽村・四谷間を年内いっぱいに仕上げることであった。

 既に前の月の二五日には、兄弟に許可の内示が下されていた。にもかかわらず発表が年明けにずれ込んだのは、幕閣たちの間で普請のやり方について意見が分かれたからであった。

 忠勝は当初、玉川上水を天下普請にすることを主張した。公的性格を帯びた上水の普請に、諸大名を協力させるのはあたりまえと考えたからである。だが他の幕閣はこぞって忠勝に異を唱えた。

「小百姓の自立がいまだ十分でない中で、彼らに夫役の負担を強いるのはいかがなものか」

「先の飢饉の記憶が生々しいうちに天下普請を行うとなると、民衆が動揺する恐れがある」

周りじゅうから強い反対に遭い、忠勝はしぶしぶ自案を引っ込めた。

 次にもめた材料は兄弟への支払い額であった。清右衛門が提示した金額は六〇〇〇両、忠治はそれを妥当な金額と見積もった。

「六〇〇〇両は利益を見込まないぎりぎりの金額設定といえます。彼らは本気で普請を請け負うつもりでしょう」

それに対し忠勝は、工費を減額して査定すべしと言い張った。

「彼らが受け持つ普請は四谷までに限られる。四谷から江戸城までは別普請となる。彼らの分だけで六〇〇〇両は多すぎる。第一、請負金額というのは減額査定をするのが当然であろう」

忠勝に遠慮して、正之は今度は忠勝に反対しなかった。他の幕閣も忠勝寄りの発言をした。唯一信綱だけが満額の支払いにこだわった。

「讃岐殿、ご意見はもっともであるが、ここは彼らの要求どおり六〇〇〇両支払うことを認めてはもらえまいか。その代わり、普請の施工については彼らに全面的な責任を負わせ、追加の支払いにも一切応じないことにしますから」

 二度も意見を否定され、忠勝は仏頂面でそっぽを向いた。勝手にしろ、という意味である。他の幕閣も最終的には信綱の説得に応じた。

 こうして工費の問題は解決したが、その後もぎくしゃくした関係が続いた。まずは忠治が、水道奉行への就任を固く拒んだ。

「私の役目は現地の検分で終わっております。利根川の普請が佳境に入っている今、別の普請の奉行まで勤めることはできません」

幕閣たちは困り果てた。この役は誰にでもできるものではない。仕方なく信綱が忠治の説得に当たった。

「普請を検分したということは、完成に至るまでの総括的な責任を負ったことになります。ここで奉行就任を断ったら、半十郎殿は途中で責任を放り投げる卑怯者と非難されるでしょう」

不快感をあらわにする忠治が、やっとのことで就任に応じたのは普請の許可から一月たった二月一一日のことであった。

 ここまで話が進んでも、普請が動き出す気配は見られなかった。準備の方はとっくに整っていた。請負人が決まる前から、清右衛門は抜け目なく必要な資材を押さえ、人足を確保していたのである。それなのに、三月に入っても普請が一向にはじまらなかったのは、普請とは別のところで兄弟が時間を取られていたせいである。それは彼らが予想もしなかった展開であった。

 普請の許可が下りた日から、幕府はそのことを人々に知らせる高札を至るところに張り出した。水不足に対する江戸住人の不安を取り除くためと、普請を円滑に進行させる目的でそれは行われた。だがその直後から、清右衛門のところにさまざまな陳情が殺到したのである。

 はじめは取水口の下流の村々からであった。上水に水を取られてしまっては、自分たちは稲が作れなくなる。公儀の普請とはいえそれでは生きるすべを失ってしまうから、請負人の裁量で何とかしてほしい、という陳情であった。中には脅迫まがいの要求も含まれていた。

 川の水が多少減ったくらいで米がとれなくなるようなことはなかったが、清右衛門は米の減収分を見込んで下流の村に補償することにした。そうしなければ普請自体が邪魔される恐れがあったからである。この予想外の出費はばかにならず、清右衛門にとって赤字覚悟の決断となった。

 次に現われたのは、多摩川を下る筏乗りと川を遡上する鮎の漁師たちであった。彼らも川の利用に生活がかかっており、それがせき止められることは死活問題であった。困った清右衛門は庄右衛門と相談し、取水堰の横に筏や鮎が通れる通路を設けることにした。当然これにも金がかかった。その後もあらゆる利害関係人が、引きも切らずに清右衛門のところへ押し寄せた。

 

 三月末になって、ようやく普請の開始日が決定した。報告を受けた信綱は理兵衛を屋敷へ呼び寄せた。

「多摩川からの上水普請は、四月四日の開始と決まった」

「さようでござりますか。思いのほか日数がたってしまいましたな」

「いや、そうでもない。だいたい私が予想したとおりとなった」

信綱は落ち着き払って答えた。

「と仰せられますのは?」

「何事をなすにも利害の衝突はつきものだ。殊にこれだけ大規模な普請になると、関係する人間の数も並大抵ではなくなる。町人に普請を請け負わせた最大の理由はそこにある。天下普請にすると、どうしても細やかな利害の調整ができなくなるのだ。たとえ行ったにしても、公儀の命令にいやいやながら従ったという思いだけが民衆の間に残る。正当な評価は期待できない。その点町人であれば、対等な立場での交渉が可能となる。公儀よりは行き届いた対策も講じられよう。もちろんそれには多くの時間と金がかかる。彼らはむしろうまく対処した方だ」

「なるほど、たしかにそのとおりでござりますな」

「そしていよいよこれからが本番となる。理兵衛よ、小畠助左衛門に命じて、安松金右衛門を普請の現場に立ち会わせ、庄右衛門の測量を監視させよ。測量にあやふやなところがあれば、その都度庄右衛門に直させるのだ。もっとも玉川上水は公儀の普請であるから、金右衛門に庄右衛門を指図する権限はない。あくまで庄右衛門への助言という形を取らせるのだ」

「かしこまりました。帰って助左衛門にその旨伝えます」

「うむ、頼む。それともう一つ、例の野火留の件はどうなっておるか?」

「はっ、殿のお言いつけどおり、かの地の開発については既に線引きを済ませ、先頃着工の運びとなっております」

「そうか、ではあと数か月もすれば畑ができ上がるな。理兵衛よ、早急に野火留新田の入植者を募り、できる限り多くの百姓を開発地に取り込むのだ。集まりが悪いようなら、入植を希望する者に何らかの特典を与えてもよい。また入植という形にもこだわらない。周辺の村からの出作であっても構わない」

「わかりました。なお特典のことですが、以前殿よりご教示いただいておりましたとおり、目下農家一軒につき金二両と米一俵を貸し与えることで調整を図っております。もっとも、これほどの大盤振る舞いまでして百姓を集めるというのも…」

「それでよい。野火留には水がないのだから、こうでもしなければ人が集まらないのだ。なぜそこまでするかは、いずれ理兵衛にもわかる。とにかく今は人集めに専念してくれ」

理兵衛はかしこまって信綱の前を退いた。

 

 四月四日、ようやく取水口から普請が開始された。計画期間のうち三か月が無為に過ぎ去っていた。それでも庄右衛門は腐ることなく、黙々と測量に取りかかった。そのかたわらには金右衛門がいた。

 庄右衛門の測量は至って独創的であった。夜になるのを待って活動をはじめ、提灯を携えた者を遠くへ歩かせ、明かりが点にしか見えなくなったところでその光を頼りに高低差を測るというものであった。見通しの悪い場所では提灯の代わりに線香の束を持たせ、近距離を連続して測った。一風変わったこのやり方でも、庄右衛門の測量は恐ろしく手ぎわがよかった。提灯に水準を合わせたと思う間もなく、すぐまた次の地点へと移っていった。その速さには金右衛門も舌を巻いた。

 翌朝、庄右衛門が測量を行ったのと同じ場所に、金右衛門が大きな器具を運び込んだ。身の丈ほどあるそれは柱を横にしたような代物で、四隅には長い脚が取り付けられていた。中央部はくり貫かれて水がなみなみと張られ、下にはおもりがぶらさげられていた。

 庄右衛門は金右衛門のことを横目で見ながら、そしらぬふりをして前夜の測量の片付けを行った。金右衛門の方も庄右衛門には構わず、器具を据え付けるとその一方の端から反対側の端をのぞき込み、遠くの目標物に焦点を合わせていた。そして時々うなずきながら何やら紙に書き込むと、庄右衛門の測量した跡をたどって器具ごと移動していった。

 そうしたことが何日か繰り返され、その間にも庄右衛門は現場を飛び回り、普請を仕切っていた。技術的なことに関して庄右衛門の右に出る者はいない。寸分の狂いもない測量に、誤ることのない的確な判断、明けても暮れても庄右衛門を中心に普請は進められた。

 とはいえ、周囲からの庄右衛門の評判はあまり芳しいものではなかった。口数が少ないのはともかく、少しでも失敗すると頭ごなしに怒鳴りつけられるからである。江戸の住人にきれいな水を届けようと、進んで普請の手伝いに参加していた女たちは庄右衛門の大声に震え上がり、連れていた赤子はびっくりして泣き出した。現場はいつも緊張した空気が漂っていた。

 ある日の夕刻、庄右衛門が測量の準備をしているところへ金右衛門が歩み寄って言った。

「庄右衛門よ、昨日の場所に戻り、もう一度測量をやり直してみよ」

庄右衛門は顔を上げ、ものすごい目つきで金右衛門をにらんだ。やり直しということは、測量が間違っていたということを意味する。職人にとってそれは大いなる恥となる。そんな重大なことを監督者でもない金右衛門からいきなり言われ、庄右衛門はかっときたのである。

 だが、当の金右衛門は涼しい顔をして話を続けた。

「図面上は、もう少し緩やかに掘ることになっている。このまま普請を続ければ、誤差が積もり積もって江戸までたどり着けなくなってしまうぞ」

庄右衛門は怒りにひきつった表情で金右衛門を見つめていた。が、そのうち我に帰ったように、再びその場で測量の準備に取りかかった。要するに庄右衛門は、金右衛門を無視することにした。

 ところがその後も金右衛門はしつこく庄右衛門に付きまとい、測量をやり直すよう庄右衛門に迫った。うんざりした庄右衛門はしまいにはあきらめ顔になり、鼻息荒く前日の場所へと戻った。

 金右衛門の言ったとおりであった。庄右衛門は図面よりほんの少し深く掘るよう測量していた。前の晩の強風で提灯があおられ、測定値にわずかな狂いが生じていたのである。自分の測量が完璧だと思い込んでいた庄右衛門は愕然とした。

 翌朝、金右衛門は庄右衛門を呼んで説明をした。

「この器具で測り直して誤りに気づいたのだ。お前もここからのぞいてみるがよい。片目をつぶって、もう片方の目で器具の両端にある突起物を重ね合わせてみよ。視線をずらして、二つの突起がぴたりと揃ったところが地面との水平線だ。そのまま遠くに視点を移してみよ。はるか向こうに棹が立っているのが見えるであろう。突起越しに棹の見える境目がここと同じ高さで、そこから上下に離れた分が高低差となる。どうだ、遠くにあっても案外よく見えるであろう」

 庄右衛門はしばらく黙ってその器具をのぞき込んでいたが、やがてぷいっとその場を離れ、近くにいた人足に向かってぶっきらぼうに普請のやり直しを命じた。

 

 その後も何度か、金右衛門は庄右衛門に器具の使い方を説明した。庄右衛門はそのたびにいやそうな顔をしたが、金右衛門の言うことには従った。

 そうこうしているうちに普請の開始から一か月ほどがたち、梅雨の季節が訪れた。二、三日雨が降っては止む、といった天気が二か月近く続き、普請の進み具合は見るからに遅くなった。庄右衛門の測量は夜間行っていることもあって、雨の日は見通しがきかず休みとなる。普請がほとんど停滞したまま、とうとう六月の終わりになってしまった。

「今年も既に六か月が過ぎたというのに、普請はまだ二割も進んでいない。いったいどうするつもりだ」

江戸町奉行の神尾元勝が庄右衛門と清右衛門を呼びつけ、いら立ちを抑え切れない様子で二人に問いただした。庄右衛門はむっつりと押し黙っていたが、清右衛門は、

「なにぶん、普請に取りかかる時期が遅れまして、それだけ日程がずれ込んでおります。梅雨もようやく明けたようですので、これから遅れを取り戻したいと思います」

と言い訳に終始した。

「取り戻すといったところで、測量が先に進まなければ普請も前に進めないではないか。庄右衛門がいくら急いでも、今の測量を倍の速さで進めることはできまい。

 こうなったら水道奉行の伊奈殿だけが頼りだ。伊奈殿には普請の進捗状況を逐一知らせてある。おそらく今度送られてくる指令には現状の打開策が盛り込まれているであろう。伊奈殿ならこの状況を何とかしてくれるに違いない」

と元勝が自分を落ち着かせようとしたその時、江戸城から一通の知らせが届いた。目を通した元勝は顔面蒼白となった。

「伊奈殿が亡くなられた…」

 

 六月二七日、忠治は赤堀川の現場に倒れた。心労がたたって心臓発作を起こしたのである。もがき苦しんだ末、その場で息絶えた。

 江戸城内は騒然となった。完成間近の利根川はどうなるのか?玉川上水の普請はどうするのか?そもそも伊奈様に一度に二つの大事業を任せたのがいけなかったのだ。

 取り乱した雰囲気の中、信綱が幕閣たちを招集した。当惑する幕閣たちを前に、信綱はいつもと変わらぬ冷静さで自らの意見を述べた。

「利根川の普請は、半十郎殿の嫡男半左衛門忠克殿に跡を継いでもらう。半左衛門殿はこれまで父親と共に利根川の現場を廻ってきた。半十郎殿には及ばないまでも、利根川のことを今一番よく知る人物であり、また彼自身、父親の果たせなかった夢を自分の手で完成させたいという思いもあろう。

 ただ、上水の奉行まで彼に託すのは無理がある。半十郎殿と半左衛門殿とでは経験が違い過ぎる。今の半左衛門殿に、普請が滞る上水の奉行を兼務させることは酷というものであろう。

 そこで、当面私が水道奉行の代わりを勤めようと思う。川越に測量の腕の立つ家臣がいる。その者に上水の監督をさせればそれなりのことはできよう。各々方、それで差し支えはござらぬか?」

「差し支えどころか、我々の方からお願いしたいくらいだ。伊豆殿、ここはひとつよろしく頼む」

直孝が諸手を挙げて賛成した。他の幕閣たちも異存はなかった。

「ただし、私も奉行を引き受けるからには、それなりの見返りはいただきたい」

信綱が突然ぶしつけな要求を出した。信綱らしからぬ物言いに、幕閣たちはけげんな顔をしながらもうなずいた。

「もっともな話だ。して、伊豆殿は何を望んでおるのか?」

信綱は一呼吸おいて答えた。

「玉川上水の分水を、野火留に引かせてもらいたい。江戸に流す水の三割でよい。上水の途中に堰を設けて引き込ませていただきたい」

「何だって!」

忠勝が気色ばんだ。

「伊豆殿、本気で言っているのか。公儀の普請である上水を、それも三割も、自分の領内へ引き込もうというのか?とても伊豆殿の発言とは思えぬ」

正之が首を横に振りながら尋ねた。

「本気です」

信綱は真顔で答えた。

「見損なったぞ、伊豆殿。私利私欲のために江戸の人々の貴重な水を横取りしようとは」

「そうだ。しかもそれは公儀を利用して自領を肥やすに等しい行為であるぞ。半十郎殿も伊豆殿のせいで命を縮めたようなものではないか」

「そうか、だから伊豆殿は多摩川からの引水にこだわっていたのか。どうりで様子がおかしいと思った。はじめから野火留を水田に変えようという魂胆だったのだな」

「まさか、そんなつもりは毛頭ありません。野火留を水田にするのであれば、上水の半分をいただいてもまだ足りません」

「それではいかなる理由で、伊豆殿は野火留に水を求めるのか?」

「野火留を、有事における公儀の本陣とします」

信綱はきっぱりと答えた。

「…?」

あまりに突拍子もない答えに、幕閣たちは言葉を失った。信綱は断固たる口調で幕閣全員に向かって話を続けた。

「昨今の情勢下、いつまた牢人どもが江戸の町へ放火しないとも限らない。もしひとたび火が着けられ、その火が江戸城を襲うことになれば、一時的にせよ城を離れざるを得ない状況に置かれることが十分に考えられる。

 そうでなくとも江戸城は、公儀の敵にとって常に攻略の対象となっている。城が乗っ取られる最悪の事態を、我々は想定しておかなければならない。そのためには今のうちから本陣となる土地を確保しておくことが、どうしても必要になる。

 幸い野火留は未開の地である。江戸城にいる大勢の人を受け入れる余地がある。しかも新河岸川を利用すれば、人や物資を江戸から容易に輸送することも可能である。

 はじめて玉川上水の計画図を見た時、私はこれによって、直面する三つの問題を同時に解決できるのではないかと考えた。一つ目が飲料水の供給、二つ目が防火用水の常備、そして三つ目が本陣の確保である。本陣の確保が最も困難な課題と思われたが、私はあらゆる可能性を検討し、その結果野火留に設置することが最善の方策であると確信するに至った。

 普請の決定を聞いた後、私は川越の家老に野火留の開発を指示し、かの地だけで食糧の自給が可能となるよう手を打った。今では入植者は数十軒に達している。さらには開発地の一角を川越の下屋敷と定め、家臣や一門の者、医師などがいつでも移り住めるようにした。彼らはいざという時に上様をお守りする守備隊となる。

 我々には時間がない。即断即決あるのみである。私は自分の考えだけでここまで準備を整えた。公儀にとって良かれと思ってしたことで、もとより他意はござらん。あとは野火留への通水を待つばかりである。かの地に欠けているのは、残すところ飲料水だけである。各々方、ぜひとも玉川上水からの分水をお認めいただきたい」

信綱は深々と頭を下げた。幕閣たちは皆あっけにとられていた。

 

 信綱の提案は認められた。幕閣たちは江戸の置かれている現状を改めて認識した。それとともに、誰もが信綱の危機意識の高さに感心した。

 だが、それだけで幕府を取り巻く状況が変わるものではなかった。早急に解決せねばならない問題が山積していた。上水普請はその最たるものであった。奉行就任と同時に、信綱は助左衛門と金右衛門を兄弟のもとに送り込んだ。

 温和な助左衛門であったが、庄右衛門の態度はもてあました。庄右衛門があまりにも自分のやり方にこだわり、他人の意見を聞かなかったからである。しかも口のきき方がいちいち反抗的であった。

「これまでどおりの測量では普請が終わらないと言われるが、そんなことはやってみなければわからないではないか。進みが遅いというのであれば、今の倍の速さにするまでです」

「だからそのようなことは無理であろうと、最前から言っておるのだ。ほかのやり方は考えられぬのか?」

「私は今までこのやり方で通してきた。それでうまくやってこられたのだから、いまさら変える必要はないでしょう」

「それでもし間に合わなかったらどうするつもりか」

「つもりもへったくれもありません。やらねばならぬならやる、それだけのことです」

「ふーむ、これではどこまで行っても話がかみ合わぬな」

助左衛門はお手上げといった感じでつぶやいた。そこへ金右衛門がおもむろに口を開いた。庄右衛門は金右衛門に一目措いており、金右衛門の言うことには耳を傾けた。

「私は三か月ばかり、庄右衛門のことを間近で見てきた。すばらしい測量の腕前であった。我流とは思えぬほどの完成度で、その速さも驚くほどであった。

 しかし、このやり方には明らかな欠点がある。まずは測量の精度を上げるため、同じ場所を何度も測り直す必要がある。目標物に提灯を使用していることがその原因だ。いくら遠くに離れていても、提灯の光は点ではない。上下幅にしておよそ一尺、とても許容できる誤差ではない。しかも提灯は不安定に揺れるため、測量に狂いが生じやすい。そのため何度か測量した値を均して使わなければならなくなる。結果として、測量自体が速くても前に進むのに時間がかかってしまう」

「うっ、むむ…」

「さらに提灯に頼ったこのやり方では、測量が夜間に限られる。暗闇の中ではどうしても足元が不安定になる。どんなに急いでも速さに限界が生じ、急ぐこと自体にも危険が伴う。残念だが、このやり方ではうまくいかない。庄右衛門よ、そのことはお前自身よくわかっているであろう」

庄右衛門はがっくりとうなだれた。

「だが、私はほかのやり方を知らない…」

か細い声を絞り出す庄右衛門に、金右衛門は穏やかな口調で語りかけた。

「そんなことはない。お前はこの三か月で、私の器具の操作を完璧に習得したではないか。お前はもともと測量に関し天賦の才がある。どうすれば正しい測量値を得られるのか、本能的に理解している。だから私が少し教えただけで器具の使い方を自分のものとすることができた。もう私がお前に教えることは何もない。私の器具を使って、思う存分測量をすればよい」

庄右衛門は再び頭を上げた。その瞳には力がみなぎっていた。

 

 その後の速さはまさに神がかり的であった。庄右衛門はそれまでのもやもやを吹き飛ばす勢いで、江戸を目指してまっしぐらに測量を進めていった。確認のための測量は金右衛門が行い、万に一つの間違いも生じないよう連携が図られた。

 測量の進捗に合わせて人足も大勢投入され、普請は以前の倍以上の速さで進み、それまでの遅れをみるみるうちに取り戻していった。

 もっとも、すべてが良いことずくめとはいかなかった。今度は清右衛門の方がおかしくなってしまったのである。普請が高井戸に差しかかり、残り三分の一を切ったあたりから、それまでほとんど姿を見せなかった清右衛門がしばしば現場に現われるようになった。そして何者かに追われるかのように、そわそわと行ったり来たりを繰り返した。

 秋も深まった九月の末、視察に訪れた助左衛門に清右衛門がそっと耳打ちをした。

「小畠様、折いってご相談したいことが…」

助左衛門は首をかしげた。清右衛門の方から何の相談事があるのか、思い当たらなかったからである。

 数日後、助左衛門が信綱の屋敷を訪れた。思いつめた顔をして、時折ため息をつきながら信綱と向かい合った。

「助左衛門よ、何か心配事でも起きたのか」

信綱から助左衛門に声をかけた。

「はっ、実は上水のことで困った相談を持ちかけられまして…」

助左衛門が言いにくそうに答えた。

「おおかた、普請の金策についてであろう。清右衛門から金の工面を頼まれたか?お前の顔にそう書いてある」

 図星をつかれた助左衛門は、驚いて信綱を見た。信綱はすべてお見通しといった顔をして、助左衛門を見返した。

「そろそろ兄弟が来る頃であろうと思っていた。それが金の相談であることもわかっていた。庄右衛門はそういったことに無頓着だ。来るとしたら清右衛門の方であろうと予測していた。

 おそらく清右衛門は、これほど普請に金がかかるとは思わなかったとお前に打ち明けたのであろう。あらかじめもらっていた六〇〇〇両は、もう使い果たしてしまったに違いない。そこでお前のところへ相談に来た、そうではないか?」

「そ、そのとおりでございます」

「まあ、清右衛門の気持ちもわからないではない。普請にかかる金だけならまだしも、何から何まで金で解決することを迫られる中で、もらった六〇〇〇両を頼りにやりくりをするのは本当にきつかったであろうからな」

「では、清右衛門に金を融通していただけるので…」

助左衛門が期待を込めて尋ねた。

「いや…」

信綱が厳しい口調で言った。

「清右衛門に伝えよ。これ以上一文たりとも金は出さぬとな。清右衛門自身が六〇〇〇両でできると言ったのだ。公儀の請負金は、見込み違いをしたからといって簡単に増やせるようなものではない。自分たちの甘さを棚に上げて、公儀の金を当てにするとはもってのほかである、とな」

「ははっ、行って清右衛門に伝えます」

助左衛門は真っ青な顔をして退いた。

 助左衛門から話を聞いた清右衛門は凍りついた。若干の不足を補填してほしいというような話ではないのである。これまでかかった補償金や、遅れを取り戻すため人足に支払った割増金などで、六〇〇〇両は底をつき今や一〇〇〇両を超す手持金をつぎ込んでいるのである。手持金といえば聞こえはいいが、大半は方々からかき集めた借金である。しかもその額は日を追って膨らみ続けている。最後の望みをかけて信綱にすがったというのに、それすら取り合ってももらえないようでは自分たちは首をくくるしかない。清右衛門の受けた衝撃は大きかった。

「まったくうちの殿ときたら、智恵者すぎて時々理解に苦しむことがある。お前たちのことは気の毒に思うし、何とかしてやりたいとも思うが、そうは言っても殿の仰せを我々が覆すことはできないのだ。

 末々悪いようにはせぬ。ここはじっとこらえて自分たちで資金を集めてくれ」

助左衛門はしどろもどろになって弁明した。茫然自失の清右衛門は、一点を見据えたままみじろぎもしなかった。この日以来、清右衛門は狂ったように金策に駆けずり廻ることになる。

 

 一方の庄右衛門はすこぶる順調であった。器具の扱いにも慣れ、ますます測量に磨きをかけていた。あまりにも測量が進み過ぎたので、途中から工区を分けて、一度に数か所で普請を行うこともできるようになった。そうして一〇月の終わりには、普請はついに四谷まで到達した。

「庄右衛門よ、喜ぶのはまだ早い。最後まで水が流れるのを見届けてからだ。万が一ということがあるからな」

「そういう安松様も、口元がほころんでいますよ」

庄右衛門がまぜかえした。数か月に及ぶ共同作業の中で、二人はすっかり打ち解けていたのである。通水の試験は一一月一日と決まった。

 一日の朝、穏やかな冬晴れのもと、取水口近くに金右衛門と庄右衛門がいた。金右衛門の合図に従って、ゆっくりと水門が開かれた。堰に導かれた多摩川の水は、透き通ったせせらぎとなって水門をくぐっていった。水は思ったより勢いを増し、所々で水しぶきをあげながら江戸へ向かって流れていった。何事もなければ、水は今日中に四谷へ到達するであろう。そこから先は谷筋に沿って渋谷川へ落ちるだけである。二人は成功を信じて疑わなかった。ところが、話はそうはならなかったのである。

 昼過ぎ、先回りをして四谷へ来ていた金右衛門のもとに通報が入った。

「水が流れません。早嶋の手前の熊川村で、地面に吸い込まれている模様です」

「何だって?」

のんびりと水が来るのを待っていた金右衛門ががばっと立ち上がった。急いで馬を仕立て、現地に直行した。

 熊川には既にたくさんの人だかりができていた。人ごみをかき分けて前に出ると、庄右衛門が呆然と突っ立っていた。

「庄右衛門、何が起こったのだ」

金右衛門の声が届いたのか、血の気のない顔をした庄右衛門がゆっくりと金右衛門の方を向いた。

「安松様、まるで地面が口を開いたように、土の中へ水がどんどん吸い込まれていきます」

「ふむ…」

金右衛門はあごをさすりながらあたりを見廻した。

 一見どこにでもある普通の場所である。ここだけが周囲と違っているふうには見えない。むしろここより悪条件のところはほかにいくらでもある。それだけに、水の流れない理由が思いつかない。残された工期は二か月しかない。

「さしあたり、流れはこのままにしておこう。もしかしたら二、三日後に再びこの先へ水が流れるかもしれぬ。我々はその間、おおもとの原因を探ることにしよう」

 翌日から、金右衛門と庄右衛門による徹底的な水路調査がはじまった。

「一番疑わしいのは、やはり水路の勾配でしょう。提灯で測っていた頃の測量はどこも怪しいと思われます。もう一度羽村から測り直し、測量に誤りがないか確かめてみましょう」

庄右衛門の提案を、金右衛門は一蹴した。

「そんなことをしていては、とても工期に間に合わない。第一、測量違いなら水は途中で流れを止めてしまっているはずだ。ここはそうはなっていない。水は地中に向かって流れ落ちている」

「勾配が原因でないとすると、ほかに考えられるのは土手しかありません。ちょうどここは崖地を斜めに横切っている場所です。左岸は崖の斜面をそのまま利用していますが、右岸は盛土をして土手を築いてあります。その土手が不完全であった可能性があります」

金右衛門はまたもや首を横に振った。

「土手が壊れているとしたら、水は崖の斜面に沿って流れ出ているはずだ。それなら見てすぐにわかりそうなものである。土手の問題とも思えない」

「ならば一度水門をふさいで、上流から水路をしらみつぶしに調べていくしか方法はありません」

金右衛門は少し考えてから小さくうなずいた。

「そうだな。明日まで待って、それで何の変化も見られなければ水をせき止めることにしよう」

 三日、状況が変わらないのを確かめた金右衛門は、無表情で水門を閉ざすよう命じた。流れが止まった水路からは、水がすぐに消えてなくなった。

 金右衛門と庄右衛門は取水口に降り立ち、そこから下流に向かって歩きだした。わずか二日の間に水底はかなり滑りやすくなっており、二人は何度も転びそうになりながらどこか異状がないかつぶさに調べ上げた。が、これといって変わったところは見当たらなかった。

(どうにも解せない。崖地は熊川の手前にも二、三か所あるが、そこはちゃんと水が流れている。熊川に限ってなぜ水が吸い込まれるのであろうか?また原因がわかったとしても、果たしてほかのやり方で熊川に水を通すことは可能であろうか?)

金右衛門は考え続けた。

 二人は熊川へたどり着くと、問題の崖地に足を踏み入れた。得るものは何もなく、疲れだけがたまり歩く足取りは重かった。これからどうすべきか、解決の糸口すら見出せず頭を悩ませる金右衛門の足元でじゃりっという音が聞こえた。

(気のせいか…)

金右衛門はぼんやりと考え、そのまま歩を進めた。またもじゃりじゃりと音がした。音だけでなく、歩く感触まで違っていた。金右衛門ははっとしてしゃがみこみ、地面を手ですくった。

「これだ」

金右衛門が興奮気味につぶやいた。

「は?」

庄右衛門が聞き返すと、目を大きく見開いた金右衛門が力強く答えた。

「原因はこれだよ。この崖地のところだけ、水底が砂利でできているのだ。この砂利のせいで、まるですのこのように水が地中に染み込んでしまったのだ。おそらく浸透した水は、地中深く砂利の層を伝ってどこかへ流れ去っていったに違いない」

「ということは…」

「この崖を斜めに渡すこと自体に問題があったということだ。水路に穴が開いているようなものだからな」

「ではどうすれば?」

「上水の路線を変更する。崖をできるだけ短く横切るよう設計し直すのだ。崖の上流に盛土を築き、その上へ水路を通して一気に崖を渡らせることにしよう」

「大普請になりますが…」

「やるしかない。躊躇している暇さえないのだ。庄右衛門は直ちにこの場所の測量に取りかかれ。清右衛門には集められる限りの人足を集めさせよ。測量が終わったら、庄右衛門は私と一緒に水路全体の土壌を調査するのだ。このような場所がほかにもあるかもしれないからな」

 かくして急遽、上水の掘り替え普請が行われることになった。

 測量には非常に高い精度が要求された。もともと高い崖を乗り越えねばならない場所である。それゆえ上流の勾配を可能な限り緩くして徐々に崖をせり上がらせていたのであるが、今度はそれもできなくなる。金右衛門は崖のはるか手前から水路に土を盛り、なるべく高度を落とさないようにして最短距離で崖を横切らせることにした。それには水が流れるぎりぎりの勾配を計算し、それに合わせた緻密な測量を行わなければならない。庄右衛門にとって極度な緊張を強いられる作業となった。

 しかもそうまでしても、必ず通水が成功するという保証はなかった。別の理由で水が流れないことも十分に予想された。二人はとりあえず三日間で熊川の測量を終わらせ、その後は全線を調査して考えられる限りの対策を施すことにした。

「庄右衛門よ、これは三和土といって練り土の一種だ。水が漏れそうな水底はこれで塗り固めることにしよう」

「心得ました」

「取水口付近の崖は多摩川べりにあるため、手前に盛土を施すことができません」

「代わりに崖の途中で水路の幅を絞ってみよう。そうすれば流速が増して水が通りやすくなるはずだ」

「砂川村近くの崖は、雨が降ると一番低いところに雨水が流れ込み、せっかく築いた盛土の土砂をさらっていってしまう」

「崖の上流に雨水の迂回路を設け、盛土の下に雨水が流れ込まないようにしましょう」

 水路の見直しは何日も続いた。見直しが済んだところから測量のやり直しを行い、何か所かで同時に普請を行った。

 一方の清右衛門は金策に奔走した。つぎ込んだ手持金は既に二〇〇〇両を超えていた。そのほとんどが借金であり、追加の借り入れはもはや絶望的となっていた。清右衛門は持っていた家屋敷を手放し、一〇〇〇両で売りに出した。売れればもちろん工費の足しになったが、大きな屋敷であるためすぐには買い手がつかなかった。清右衛門は血まなこになって、屋敷を買ってくれそうな人を探し回った。

 一一月が一〇日を過ぎた頃、ようやくすべての測量が完了した。庄右衛門はほっとした。打つべき手は全部打ったと感じていた。ただ依然として熊川の崖地が最大の難所であることに変わりはなかった。ここを水が流れるかどうかが成功の鍵を握っていた。不眠不休の金右衛門と庄右衛門は、ふらふらになりながら熊川へと戻っていった。

 現場では多くの者が普請に携わっていた。若い男ばかりでなく、老人や女、小さな子供までもが加わっていた。手抜きをしている者はどこにも見られなかった。それどころか、扶持米目当てに参加している者さえいなかった。清右衛門がいくらがんばっても金の工面は思うに任せず、扶持米は遅配や欠配が当たり前になっていたのである。それでも誰一人文句を言わなかったのは、参加するすべての人が、江戸まで水を通そう、江戸の人々に飲み水を届けようと願っていたからであった。

 集まった人々は心を一つにしていた。大きな切株を力を合わせて掘り起こす若者たちがいた。子供をあやしながら、懸命に土をかき集める女がいた。汗にまみれ、泥にまみれ、誰もが必死に働いた。

 しばらくその様子を眺めていた庄右衛門が、置いてあった鍬を手に取って水路に滑り降りた。そうして男たちに混じって、がむしゃらに土を掘りはじめた。慣れない手つきで傷だらけになりながら、庄右衛門は一心不乱に鍬を振り上げた。

 ふと気がつくと、庄右衛門の隣に金右衛門がいた。金右衛門も手に鍬を持っていた。二人は言葉一つ交わさず、黙々と土を掘り続けた。

 

 一一月一五日、できたばかりの熊川の水路脇に金右衛門と庄右衛門の姿があった。この日は通水の再試験をする日で、日の出とともに取水口の水門が開けられることになっていた。二人は通水の最も危ぶまれるこの熊川で待機することにしたのであった。ここさえ乗り切れれば、水は確実に江戸まで通じるであろう。逆に今回もここでつかえるようなら、残り一月半では普請はとても間に合わない。まさにここが正念場といえた。

 そろそろ水が到着する頃である。期待と不安が入り混じり、時のたつのがもどかしく感じられた。

 しばらくして、水が近づいてくることを告げる歓声が遠くの方から聞こえてきた。喜びの声は次第に大きくなり、やがて視界にいる者たちの躍り上がる姿が見えるほどになった。そしてそれが最高潮に達した時、ついに肉眼が水をとらえた。

 水は何のためらいもなく、一直線にこちらへ向かって来るかに見えた。が、新しく造った水路に差しかかったところで、急にその動きを止めた。固唾を飲んで見守る庄右衛門たちの目の前で、水は再び盛土の上をゆっくりと滑りはじめた。それからは、まるで坂道を登っていくように、力強く前へ前へと進んでいった。

 とうとう水は崖の頂点に達し、何事もなかったかのごとく下り降りた。大成功であった。

「うぉおお」

「やったあ」

周囲から地鳴りのようなどよめきが挙がった。知らない者同士がお互いの尽力を称え、手を取り合って喜んだ。庄右衛門と金右衛門はへなへなとその場に座り込み、互いの肩をしっかりと抱き合った。

「ふっふっふっ…」

「はっはっはっ…」

「あーっはっはっは…」

こみ上げてくる喜びは、腹の底から湧きあがる哄笑となった。二人の瞳からは涙がとめどなくあふれていた。

 やがて庄右衛門は立ち上がり、周りにいる一人ひとりに深々と頭を下げた。何度も何度も、涙でぐしゃぐしゃになった顔で、庄右衛門はありがとうを言い続けた。

 

 二日後、助左衛門に伴われた金右衛門が信綱の屋敷を訪れた。

「申し上げます。庄右衛門・清右衛門兄弟の働きにより、多摩川の水はつつがなく四谷まで流れ着きましてございます。昨日、全線にわたる検査を行いましたところ、何ら異状は見られれませんでした」

「そうか…」

助左衛門の報告を受けながら、信綱はまじまじと金右衛門を見つめた。つつがないどころの話でなかったことは、信綱も十分承知していた。熊川で流れが止まり、その後の改修も難航しているとの情報は信綱の耳にも入っていた。そうした目で金右衛門を見ると、手はまめが破れて血がにじんでいる。完成に至るまで相当な苦労があったのであろう。それをおくびにも出さず静かに座る金右衛門の姿に、信綱は胸が熱くなった。

「よくぞやり遂げてくれた…」

信綱は声を詰まらせ、自然と声が高くなった。助左衛門は驚き、信綱と金右衛門を交互に見た。金右衛門の目からも涙がこぼれていた。何を語らずとも、主従の心は通じ合っていた。

 信綱はそっと目頭を拭い、いつもの声に戻って金右衛門に話しかけた。

「次はお前の番だ。直ちに野火留の引水に取りかかれ。玉川の場合と異なり、今度は川越独自の普請となる。何の気兼ねもいらない。思う存分自分の力を発揮するがよい」

「はっ」

金右衛門も涙をふいて力強く答えた。

 

 金右衛門の動きはすばやかった。もともと普請は得意中の得意である。金右衛門にしてみれば、自分一人ですべてを決められる野火留の方が取り組みやすいといえた。

 鍬やもっこなどの道具は清右衛門から買い取った。清右衛門は大喜びしたが、金右衛門にとっても好条件の取引となった。何千人分もの道具をあつらえることは、通常であれば大変な労力を強いられるからである。人足の方も、上水普請で動きが良かった者をそのまま連れてきた。測量はもちろん金右衛門自身が行った。

 承応四(一六五五)年二月一〇日、すべての測量を済ませた金右衛門は、工区をいくつかに分けて持ち場を人足に与え、一斉に普請を開始させた。そしてわずか四〇日後の三月二〇日に、野火留を貫いて水を通すことに成功した。知らせを受けた信綱はほっと胸をなでおろした。

「なんとか間に合ったようだな。これで江戸城が占拠されても、野火留に本陣を移すことが可能となった」

かたわらで理兵衛が何度もうなずいた。

「そういうことでござりましたか。まさかあの野火留が、これほど重要な土地になるとは思いませんでした。かの地は私が責任をもって管理することにいたします」

「それほど長く放っておくことはあるまい。上様がご自身で仕置ができる年頃になれば、公儀にとって野火留は用済みとなる。そこで改めて平林寺にお願いをすれば、今度こそ野火留に来てくださるであろう。

 野火留の新田だけは我々の手元に残る。『結局伊豆守は私利私欲のために水を引いたのだ』と、後世非難されるかもしれないが、その点については平林寺のお釈迦様にお許しを願い、大目に見てもらおうではないか」

そう言って信綱は笑った。

 

 玉川上水の総延長はおよそ四三キロメートル。フルマラソンのコースより長いこの距離に対し、高低差わずかに九二メートル。三〇センチメートル定規に換算すると〇・六ミリメートルずつ降下させていく計算になる。それを全線にわたり破綻なく通水させ、しかも八か月余りという短期間で成し遂げている。神業以外の何ものでもない。

 上水を作り上げたことに対し、幕府は兄弟へ三〇〇両を下賜し、「玉川」の姓を与え、帯刀を許し、二〇〇石の切米を与えた。信綱は彼らの功績に最大限の褒賞で報いたのである。

 なお余談であるが、熊川で失敗した堀跡は、今も東京都福生市にある「水喰土公園」として保存されている。大きな口を開けたその古堀は、先人たちの苦闘がいかばかりであったかを無言のうちに語っている。

 

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